魚の棚広報誌 うおんたな20号
魚の棚のお店の看板娘さんをご紹介します
田村千秋さん
笑顔がとっても素敵な千秋さん19歳。
現在は看護関連の専門学校に通いながらアルバイトとして、週3~4回お勤めされています。
将来の夢は看護士になること、素敵な看護士さんになってくださいね。
撮影に使用した春らしいチューリップの花束は魚の棚商店街西入口近く花雅魚の棚店さんでご用意していただきました。
花雅 TEL078-912-6211<営業時間>9:00~18:30 毎週木曜日定休
魚食菜 ひらじぃ
明石市本町1丁目5-19(魚の棚中央付近)
TEL078-939-2477
<営業時間>
11:30~14:00・17:00~21:30
定休日:毎週木曜日
明石の鯛・蛸・穴子など、地元の海鮮をふんだんに使った お店です。
お昼はお膳や丼ものが中心・・・。
夜は、お造りから一品物、焼き物、煮物、揚げ物、ご飯ものと、色々とご用意しております。
また、地元の地酒にもこだわりをもってお出ししております。
広々とした店内は、1階2階合わせて47席。宴会などにもぜひご利用下さい。
旬の食材を召し上がれ -魚の棚人気店のおすすめ料理-
魚の棚商店街の中央、南北の通路にある「明石みつぼし」の店長・安藤さんに春らしいお料理をご紹介いただきました。 ぜひ、ご家庭でお試し下さい。食材はすべて魚の棚の商店街でお買い求め頂けます。
たこと菜の花のからし和え
<材料>
たこの足・・・2本
菜の花・・・1束
油揚げ・・・1枚
【からし酢みそ】
からし・・・大さじ1
白みそ・・・100g
砂糖・・・小さじ1
酢・・・大さじ1
薄口醤油・・・小さじ1
卵黄・・・1個分
①たこは厚さ5ミリ~1センチ程度のぶつ切りにする。
②菜の花は熱湯に塩を加えてゆで、水にとり、水気をしぼる。
【ポイント】水気はしっかりとっておかないと水っぽくなります。
③ 油揚げは網であぶり、ペーパータオルで油気をとる。
④すり鉢でからし酢みその調味料をすり合わせる。
⑤器に、たこ、菜の花、油揚げ、からし酢みそを入れ、和える。
【ポイント】時間がたつと水分が出てきますので、食べる直前に和えること。
鯛と明石だこのレタス和え
<材料>
鯛(刺身用)・・・200g
レモン汁・・・大3
塩・・・少々
たこの足・・・2本
バター・・・小さじ1
醤油・・・小さじ1
塩昆布
レタス 春キャベツでも可
①鯛は5ミリ厚のそぎ切りにして軽く塩をし、レモン汁に漬けてしばらく置く。
【ポイント】鯛の身に塩をすると身がしまり、歯ごたえが良くなります。
レモン汁に漬けるのは、鯛のクセを抜くためです。
② たこは5ミリ厚のぶつ切りにする。
③レタス、塩昆布を5ミリ幅の千切りにする(カットしてある塩昆布はそのまま使って下さい)。
【ポイント】塩昆布の塩が食材の水分をひき出し、味がよくからみます。
④フライパンでたこをバターでさっと炒め、醤油をからめ、ざるにあげる。
【ポイント】たこは炒めすぎに注意!バターをからめる程度に。
⑤ボウルに鯛、たこ、レタス、塩昆布を入れ、和える。
明石みつぼし
明石市本町1丁目2-4
TEL078-911-3381
<営業時間>
11:00~15:00
17:00~21:00
<定休日>毎週日曜日
明石みつぼしさんをご紹介します。
明石ならではの新鮮な食材を使った家庭的なお料理をお召し上がりいただけます。お手軽な金額で、たこ飯、穴子弁当など、その中でもたこ飯の付いたセットメニューは大変人気です。たこ飯はひとつずつ蒸しあげる「たこせいろ」でお出ししています。また、2階お座敷完備、各種宴会を承っております。
魚の棚の歴史を探り未来に残すため、過去を知る皆さんに集まって頂き、現在知り得る歴史をひもといてみました。
最高齢である洋食屋山陽亭の親父さん河内俊至さん大正十一年生まれ九十一歳、昭和十二年生まれの森本みどりさん、同じく昭和十二年生まれのアサヒ商事の名村弘司さん、昭和十七年生まれのヤマシタ電化の山下清人さん、昭和十九年生まれのこじまの小島憲基さん、昭和二十四年生まれ林喜商店の林祝雄さん、昭和二十八年生まれの魚常の稲垣年彦さんに出席して頂きましたが、河内さん以外はあまり実感がなく、親から聞かされた話、故岡本光男氏の資料を元にして、記憶をたどりながらお話しを聞かせていただきました。
下記載の地図は、河内さんが昭和十年当時の記憶を元に平成十三年に作成された地図(下記地図)と名村さんの資料を元に再現した地図です。 明石も六回にわたる空襲で、人出で賑わった魚の棚も一夜明けると焼け野原になっていました。残暑の中、焼け残った古い材木、トタンを使いバラックを建て、商売を復活させました。唯一、戦火に耐えた「石畳」が昔を偲ばせ、復興への道しるべとなったそうです。戦後の混乱の中、物資の統制令がしかれ、あらゆる物が配給制となり、肝心の魚も自由販売が出来なくなりました。次第に統制も解除され、出漁すれば食べるだけの水産資源があり、物々交換や、魚を買い出しに来る人達を相手に商売が出来たそうです。
昭和二十四年まで、駅前から魚の棚周辺まで、「自由市場」として露店がびっしり四八〇軒のお店が立ち並び、住民達は一生懸命に生きて行くことに毎日努力していました。
山陽亭 河内俊至さんが当時の記憶を元に描かれた昭和10年当時の細工町の地図
※5月末まで魚の駅で展示しております。
そして昭和二十四年二月二十日早朝、大きな出来事が起こりました。その当時の自由市場から出火し、錦江町・桜町・鍛冶屋町・細工町(現在の魚の棚東部)・東魚町の一部が猛火に包まれました。これが「明石大火」と呼ばれた大火災です。住民達は、痛恨の極みなき涙と共に再建への力強い第一歩を踏み出しました。そして、この大火災の後、明石市の都市計画により、立ち退き、替地により町並みが一変したとのことです。
新生明石駅前と魚の棚東部が新しく誕生しました。この区画が現在の魚の棚に最も近いカタチになったそうです。昭和二十五年には、鮮魚店が五~六軒、蒲鉾店が五軒ほど、穴子店が三軒余りでスタートされたそうです。
昭和二十六年になると道路整備が進み、アスファルトになりました。買い物に来られた方、自動車の通行が便利になり、特に魚の棚の特徴である、魚介類の運搬に非常に役立ったそうです。また、この時代、商品が店頭に並べれば飛ぶ様に売れ、売れて売れて面白い様に売れた時代だったそうです。中には、独自で毎月お客様をバスで宝塚劇場に招待していたお店もあったそうです。また、魚の棚の専売である鮮魚は、早朝は卸しとして大量に売れ、また昼からは小売りとして近隣の台所の役目を果たしていました。まさに一日中、活気と賑わいでお店は非常に繁昌したそうです。現実、よく昔の方は儲かったという声をよく耳にします。
今回は昭和の一部の時代を取り上げましたが、まだまだ歴史の情報は深く、今後も取り上げていこうと思っています。
そこで皆様がお持ちの資料や情報を募集いたしますのでご協力をお願いいたします。
次回パート2をお楽しみに…
<今回ご協力いただいた方々>
細工町弁天会 元会長河内俊至さん(91歳)
細工町弁天会 会長山下清人さん(71歳)
こじま 店主小島憲基さん(69歳)
魚常 店主稲垣年彦さん(60歳)
森本みどりさん(76歳)
アサヒ商事 店主名村弘司さん(76歳)
林喜商店 店主林 祝雄さん(63歳)
これからの魚の棚商店街を語る。
明石のまちの魚の棚
今回の特集にもあるように、先人の方々が築き上げてきた「魚の棚」は、全国に誇れる素晴らしい可能性を秘めた商店街だと言えます。この商店街は、昔から明石の台所という大きな看板を背負って、商いをさせていただいていました。
現在では、明石の西部の皆様にとっては、あまりなじみがないという商店街になっているかもしれません。しかし、まちの外や近隣から見ると、古い歴史のある町として、明石の中のシンボル的な場所であり、お買い物のみならず情報の発信源としての機能を持つ商店街として日々進化してきています。近隣の皆様からすれば、日々のお買物をする
場所として料理屋さんにとっては、店で提供する食材をお買い求める場所としての機能はもちろん、話題を添えることのできる商店街だと思っております。少し離れた明石の皆様にとっては、年末のお買物、大切なお客様のおもてなし等の買出しに利用されたりする事が多いのではないでしょうか。地元の方には日常であり、遠方の方には発見のある商店街という「おもしろい場所」になってきていると思います。
地域の台所として
魚の棚のいいところの一つは、同業種がたくさん集まっていて競争が起きている商店街であるというところです。イカナゴの新子も値段を統一せず競い合って、値段が変動していきます。競争はそれぞれのお店の特性を育て差別化しながらより特化していきます。ただ、スーパーをよく利用するお客様からすれば、魚の切身でもパック売りされている方が食べやすいとか、調理しやすいとかと言った部分はあるかと思うのですが、商店街の魚屋さんは、使い勝手の良さより商品の鮮度にこだわるが故っていうところが魚の棚の良さなのかなと思います。というのは、昼網で上がってきた鮮魚が、一回包丁を入れてしまうと、空気に触れ、鮮度が落ちていきます。前ものとか昼網を扱っている魚屋さんは、いかに魚の鮮度を落とさないかを考え努力をされています。例えば、活けじめとか、活けごしとか、この魚はこういう形で提供したほうが美味しく食べられるという、知識もひっくるめていろんなことに扱いなれているんです。明石の人が他の地域に旅行に行って魚を食べても明石の魚の方がおいしく感じたりするのは鮮度はもちろんですが魚屋さんや料理人さんが魚の美味しさを引き出すテクニックを熟知されているところにあると思います。
一方で、魚の棚の課題というのは、接客面かなと思っています。お客様に対してせっかくいい商品を提供しているのに、それをお客様に伝える努力を、もっともっとしなければなりません。魚料理の仕方ひとつにとってもそうですが、お客様が商品を買うまでの課程の中で、より美味しい魚の食べ方のアドバイスをお店側が提供できればと思います。接客商売ならではのスーパーではマネのできない、お客様とのキャッチボールを各店舗がもっと勉強する必要があると考えています。
観光スポットとして
ライフスタイルが変わって週休二日のご家庭が増え、土日に魚の棚に来られるお客様というのは間違いなく増えています。バスで来られた観光のお客様に対してきっちり接客するということで、また、そのお客様が今度はマイカーで半日来られたりもします。また商品を気に入っていただければお取り寄せしていただくことにも繋がると思います。そう考える
と、魚の棚というのは商圏は無限に広がるのかなと思います。そういう気持ちを持って地元のお客様・観光のお客様にも分け隔てなくサービスを提供するのはもちろんですが、市外からのお客様に対しても明石の顔として恥ずかしくないサービスを意識するというのが商店街にとっては非常に大切な事です。
もう一つは、観光というくくりでは、京阪神方面とかからいらっしゃるお客様からすると、交通の便は非常に良いのですが、一泊してまで滞在するまでではないというお話をよく伺います。魚の棚だけで観光を考えるのではなく、近隣の魅力ある施設の情報発信や食と買い物だけではない、明石に来て何か体験ができるような、滞在時間を伸ばすことのできる連携を考え観光圏というもう少し広い幅でお客様に明石の魅力を伝えられたらと思います。
若い世代の役員メンバーが多い魚の棚ですが、皆様にとって地域の台所であり、
行ってみたい観光スポットであるよう努力して行きたいと日々、いろいろな仕掛けを考えておりますので、
またご意見・ご要望などございましたら是非教えてください。
魚の棚東商店街 理事長
あかし多幸 店主
安原宏樹