魚の棚広報誌 うおんたな5号
お魚座談会 明石の漁師と魚屋の本音
今回の特集は魚屋と漁師が語り合う「おさかな座談会」です。読者の皆さんにとっては意外なことかも知れませんが、魚の棚の魚屋と明石の漁師はその相対する立場から、身近な存在でありながら売買以外に関わることがこれまでほとんどありませんでした。だからこそ、本音で話せば何か新たな発見やアイディアがみつかるのでは? そんな思いから、明石浦の漁師さん2人を招いての座談会となりました。
写真上段
戎本裕明さん
海苔養殖、小型底引き網漁(明石浦漁協所属)パワー全開、明石の魚について語り出したら止まらない。明南高校時代に甲子園出場経験あり。
大東利通
鮮魚「魚利」明石の魚の中でも寿司店や日本料理店などに卸すための、高級魚を扱うことが多い「魚利」の三代目。
藤井雄一
天ぷら「三ツ星蒲鉾」座談会余談では蒲鉾の話題にも及んだ。次回は「蒲鉾・天ぷら会議」の実現なるか?
ミニコミ紙「うおんたな」編集委員長。
写真下段
藤原真吾
鮮魚「かねき」魚の棚店だけでなく、公設卸売市場の仲卸店と、「明石活州」の三カ所で鮮魚を扱う会社の代表。
中谷正男さん
海苔養殖、一本釣り漁(明石浦漁協所属)淡々と穏やかな口調の中に意志の強さを感じさせる。AFAR(2Pに詳細あり)の発起人であり、代表。
松谷佳邦
鮮魚「松庄」某大手スーパー鮮魚部門でのサラリーマン時代を経て、平成2年より家業を継ぐ。
ミニコミ紙「うおんたな」編集委員長。
明石もんの魚だけで勝負できへんの?
松谷 今日はざっくばらんにお願いします。まず魚屋の現状から。
藤原 数年前と比べて小売りの売り上げはガタガタです。うちは得意先が何軒かあるから何とかもってるけど、お客さんは減ってる。
松谷 まあ確かに魚の棚の現状は厳しいです。原因の一つはライフスタイルの変化が大きいと思う。今は働きに出る女性が多くて、帰りが4時、5時になれば商店街へは来にくい。便宜性を求められると、どうしてもスーパーに流れてしまうという部分があると思う。
戎本 スーパーの魚が売れるんやったら、入り込む隙はあるはずや。子どもを含めて地元の人間に、明石の旨い魚を食べてもらわないかん。旨い魚と旨くない魚、食べ比べて知ってる人やったら旨い魚を選ぶことができる。そうやって大きい流れを作らな。
松谷 魚の棚の魚屋と言っても、すべてが明石もんというわけではなく、もちろん他からも入ってくる。明石もんVS他地域の魚という競争もある。そやけど養殖もんや他地域の魚ばっかり売ってたら魚の棚が魚の棚でなくなってしまう。やっぱり昼網もんを優先的に考えていきたいけども、店によって考えが違うし強制はできへん。
戎本 魚の棚は明石もんだけで勝負するわけにはいかんのやろか。
松谷 (明石もんはいろいろあるけれども)値段もそこそこで安定供給できると言うたら今はメイタ(ガレイ)とイイダコぐらいしかない。現実問題それだけでは商売にならない。
中谷 無いなら無いなりに他所のもんも並べるとして『こっちが明石のもん』いうのを明確にわかるように示してほしい。明石では今これしか獲れてない、とお客さんにはっきり伝えて。ほんなら魚の棚はホンマの明石もんやな、という風になるんちゃうかな。
藤井 たとえば明石のもんと、もうちょっと西で獲れるもん、どう違うんやろか。そこまで明石もんにこだわる意味はあるんやろか?
松谷 確かに明石もんには力があって、手頃な値段やったら売れる。漁師さんは高く売りたいと思うけど、やっぱり値ごろがあるんです。最終的に決めるんはお客さんやから、買うてもらえる値段でなかったらあかん。
漁師と魚屋の垣根をなくしていこう
戎本 これだけ原油が値上がりしたら、漁師にとって魚の値は完全に適正範囲を脱しとる。それでも売れへんのやから、安くなるのは仕方ないとして、わいらが1円泣いたら、自分(魚屋)も1円泣けや、という気持ちがある。漁師と魚屋の間には壁があって、その辺りが見えへんから「あいつらは儲けとる」というひがみが出る。垣根をなくすことが大事やと思う。
松谷 僕らも漁師さんがいかに苦労して獲ってるかはわかってるつもり。漁師さんも商店街の現状を見たら、なんで魚屋があれだけ安く買おうとしているのか、わかるはずや。週末で何とかもってるけど、平日はがらんとした中、朝から晩まで声を張り上げて売らなあかん。獲る側だけやない、売る側も苦労しとる。
戎本 魚の棚歩いてて、閉めた店があったらやっぱりドキッとする。魚屋が閉めたらこっちもやられてまうんやから。
松谷 漁師と魚屋は結局、運命共同体。対立してても前には進まへん。魚屋だけやなく、本来は漁師さんももっと消費者を意識するべきやと思うんです。
バブルな時代のイメージを拭いたい
中谷 (AFAR)でおにぎり屋を始めてから魚の棚にも来るようになったけど、それまでは高い、汚いというような悪い噂をよう聞きよったから、漠然と悪いイメージを持っていた。明石でもそういうイメージ持ってる人は、けっこう多い。実際来てみたらそういうことはないんやけどね。
松谷 確かに10年前は僕らもどこか大名商売的な部分があって、それでも潤ってたんです。世代が代わって、これではあかん改善していこう、と取り組んでる。設備投資して店きれいにして、昔はせんかったような料理(さばいて売る)もしてる。例えば太刀魚なんかは刺身用におろしてあげたり。
大東 お客さん相手するのに、昔より何でも難しなりました。ガシラ、いわしでも頭取ったりする。
松谷 サービス面での仕事は増えてるにも関わらず、昔の悪いイメージを引きずられてるのがつらい。言葉使いもそんなに乱雑やないで。
藤井 元気があって威勢が良いのはええと思う。けどそれと言葉が汚いのとは違う。店によってはお客さんがていねいだと感じない態度のところもあって、完全に魚の棚全体が変わりきれてない。
松谷 漁協は魚屋に、魚屋はお客さんに、ある意味「売ってやっとる」的な気持ちが昔はあったと思う。「気に入らんかったら買わんかったらええ」みたいな。今はそういう気持ちは全然ないけど、当時のツケが回ってきとんやと思う。
何があっても魚の棚のスタイルは貫く
戎本 あっちこっちにスーパーができて、一から十まで何でもそろう、車に積んですっと帰れる。そういうのと勝負せなあかん。
松谷 僕らはスーパーのような商売に傾くつもりはない。パックの切り身なんか売り出したら、スーパーの真似になってしまう。どんなにシェアが狭くなっても今の商売を貫く、それであかんかったら規模縮小もやむを得ない。
戎本 そんな後ろ向きやったらあかんやん。例えば魚の棚の真ん中にどーんと何か目玉作って、人寄せたらええねん。
中谷 とにかく人を寄せることに魚の棚が団結してほしいなあ。
戎本 例えば、わいらが海から帰ってきて、船のやつガバーッと持ってきてトラックで横付けして魚を降ろす。「うおんたなに漁師が来るでー!」言うたら、それだけでも人寄せられんことないやん。
松谷 イベントいうのはもちろんええんやけど、一過性のものやし、根本的解決にはならへんな。
勝部 でもお客さんにしたら、漁師さんが魚の棚でそんなパフォーマンスやってたら「魚の棚の魚ってあの漁師さんたちが取ってるんや!」ってすごいインパクト受ける。目の前で見たら魚の棚に対するイメージは変わると思います。
松谷 なるほどそれはそうやな。
戎本 そんな時は利益度外視でもええやん。食べ比べしてもらって当たったらタダとか。そんなんやってもおもろいんちゃうん。
松谷 確かに漁師さんに来てもらってイベントできたら、すごい良い投げかけにはなるな。
漁師と魚の棚でアクションを起こそう
戎本 松谷が「消費者の反応を見ていると…」とよう言うけれども、それはホンマにそうなんか? 勘違いしとうとこないかな、と思ったりする。データや分析も大事やろけど、難しく考えたらあかん。「そんなことできひんやろ!」っていうようなことをポーンとやったほうがええんやで。
藤原 やってみたいとは思うんですけど、商店街だけでのイベントでもなかなか(意見が)まとまらへん。個人商店の集まりやから、スーパーのイベントみたいには行かへんとこがある。
戎本 やっぱり商店街みんなに了解もらわなあかん?ゲリラでイベントやるわけにはいかんの?
松谷 それは無理~。でも漁師さんが商店街で魚を売るっていうのはいっぺんやってみたいし、できるんちゃうかな。
戎本 漁師でも魚屋でも全員一致して何かやるのは無理や。やる気のあるもんだけでやるしかない。こういう場で何回か話して、信頼関係ができたら絶対実現できる。
松谷 今日の成果として、イベントはぜひ実現したいと思います。漁師さんにはこれからも紙面に登場してもらったり、いろんな形でご協力をよろしくお願いします。
うおんたなっていつからあるの?どうして「魚の棚」?うおんたなの最初の商品は?
町の始まり
魚の棚商店街の場所で商売が始まったのは約400年前のことです。初代城主・小笠原忠真(忠政)が信濃(長野県)から明石へ移封されたのが元和3年(1617年)、その翌年から明石城築城を開始し、城下町の線引きを担当したのが宮本武蔵と伝えられています。町の東部を商人と職人の地区、中央部を東魚町、西魚町など商業と港湾の地区、西部は樽屋町、材木町とその海岸部には回船業者や船大工などと漁民が住む地区という風に、整然と町割りがされました。その東魚町、西魚町にあたるのが現在の魚の棚商店街の原型です。城に近い一等地に魚町が置かれていたことから、当時より明石では魚が重視されていたことがわかります。
「魚の棚」の由来
「魚の棚」の名称は魚商人が大きな板を軒先にずらりと並べ、鮮度を保つために並べた魚に水を流していた様子からきています。江戸時代、沿岸沿いの城下町にはどこでも「魚の棚」という通称をもつ町があったようですが、今も名の残る「魚の棚」と言えば、全国的にも知られる明石の魚の棚商店街です。地元では昔から「うおんたな」と発音することから、このミニコミ紙面も親しみある「うおんたな」と名づけました。
最初の商品
町ができた当時の東魚町では、鮮魚と練り製品の店が集められていました。また、東魚町よりやや西に位置する西魚町には塩干ものの問屋と小売りが並んでいました。元文年間(1736~41)には東・西魚町で鮮魚店が56軒、塩干物店が50軒あったそうです。明石海峡や播磨灘の鮮魚、蒲鉾、ちくわ、天ぷら、干物といった商品が所狭しと並べられていたことでしょう。
魚の棚の途中にある弁天様の由来は?
魚の棚商店街の東西の通り沿い「たこ磯」と「魚利」の間に小さな通路があるのをご存知でしょうか。
昨年末のアーケード新装の際、弁天会館あたりから南へ続く通路を「魚の棚べんてん通り」と名付け、柱を朱塗りにしたり、鳥居を掲げたりと存在感が増しているので、改めて気づかれた方も多いかもしれませんね。
通路を奥へ入って行くと「厳島辨財天社」があります。弁天さんと言えば知恵、財福、戦勝、子孫繁栄のほか、音楽、技芸、弁舌など芸能の神として知られています。商売繁盛を願って商店街の一角に祀られたものと思われますが、空襲等で資料が失われ、いつからここにあるのかは不明です。現在の社殿と、和室などを備えた弁天会館は昭和30年に建てられたもので、かつては貸し教室として頻繁に利用されたり、時には結婚式の会場にもなったそうです。
毎年7月の例祭は、長らく町内行事として内々に行われてきましたが、今年はお買い物に来られる皆さんにも広く親しんでいただこうと、お守りの無料配布を予定しています。
7月6日(木)・7日(金)
厳島弁財天社例祭
東西の通り沿いにある弁財天社の入り口。見かけたらぜひお参りを!願いごとがかなうかも‥‥
明石のりはおいしいと聞きました。どこで売ってるの?
魚の棚商店街の、塩干物や乾物を扱う多数の店舗で販売しています。
明石海峡周辺で獲れる海苔は、有明産などの緑がかった色と違い、黒くて肉厚なのが特徴。香ばしい磯の香り、パリッとした歯切れの良さ、スーッとほどけるような口どけの良さが魅力です。
毎年12月ごろから収穫が始まり、最初の新芽を加工した「一番摘み」ののりは特に柔らかく、口どけが良い高級品とされています。加工会社や商品によって価格に多少の幅があるのは、そのような原料の違いも影響しているようです。ぜひ、皆さんの舌で明石産ののりを味わい、お気に入りをみつけてくださいね。
魚の棚商店街では、塩干物や乾物を扱う多数の店舗で販売しています。「明石産ののりがほしい」と店頭で尋ねてみてください。
参考までに、魚の棚商店街で扱っている明石のりのパッケージをいくつか紹介します。↓
よく買い物に行く酒屋さんのレジの奥に
何やら“おいしげ”なスペースが…。
立ち飲み屋さん?女性でもいけますか?うーん気になる!
“立ち呑み 田中”のことですね。
発酵醸造食品販賣所たなか屋が、「味にこだわって集めた日本酒やワインを、気軽に楽しめるスペースを」と営業している立ち呑みスタイルのお店です。細い通路の奥に引き戸の入り口があるのですが、気になっていたけど入る勇気がなくて‥という人は多いよう。店主の田中さん夫妻が、先代から続く店を2年前から受け継ぎ、こだわりの立ち呑み屋へとイメージ一新。店内では女将を中心に女性スタッフが切り盛りしているので、家庭的な雰囲気です。量り売りの地酒やワインとともに、新鮮なお造りや煮物など手作りのお惣菜が豊富に用意されていて、女性のお客さんも居心地よく過ごせますよ。一度入るとハマっちゃうかも?
笑顔がさわやかな女将・田中裕子さん。うおんたな第3号のインタビューでも登場
立ち呑み 田中
TEL(078)912-2218
10:00~14:00・16:00~21:00 土・日曜・祝日10:30~18:00 木曜定休
紙面で紹介していた「AFAR(アファー)」って何の略ですか?
Akashiura(明石浦)
Fishman(漁師)
Active(行動)
Resarch(研究) の頭文字。
英語での“afar”にも通じる名前です。漁師は船の上で自分の位置を確認するとき、遠い目標物を目印にする“山だて”を行います。そんな風に『漁師の将来を見据え、その遠い目標に向かって進んで行こう』という決意を表現しています。
AFAR(アファー)とは・・・
明石浦漁協の若手漁師有志が集まって、平成12年から活動をスタート。漁とのり養殖を営むメンバー10人が「自分たちが育てたのり、明石の魚をおいしく食べてほしい。自分たちが昔から馴染んでいる浜の味を伝えたい」と、自ら商品開発し、手作りのおにぎりや佃煮を販売する「おにぎり屋新浜」を運営しています。漁協のルールに従って、漁師は自分で獲った魚でも漁協を通して仕入れることになります。つまりAFARの漁師は、小売店や仲買人と並んでせりに参加し、その立場を体験しています。
主力商品の「漁師のおにぎり」は1年半ほど前から販売を始め、魚の棚商店街では焼あなご店の「林喜」、土日は「子午せん人丸」前でも買うことができます。 今号の巻頭特集で座談会に参加していただいた戎本さん、中谷さんもAFARのメンバーです。
戎本さんからひとこと
以前魚屋と漁師と集まって話をしたことが1回あったけど、その時は立場の違いで敵対してしまい、対立的な部分が強かった。その後AFARで、おにぎりを作るために魚屋と並んで魚を買うという経験をしたことで、その気持ちがようわかった。そういうことを経て、今回の座談会ではええ話ができたと思う。
中谷さんからひとこと
AFARで活動する上でいろんな人と出会い、勉強させてもらった。漁師の世界だけでいたらわからんかったこと、気づかんかったことがあったと思う。なかなか儲けるとこまではいってないけど、観光客向けに常温で保存できるものなど、新商品開発にも取り組んでるところです。 「漁師のおにぎり」たこめし・鯛めし各1個の2個入り360円。添付ののりは明石産の一番摘みのり
明石の漁師AFAR ホームページ
http://afar.noor.jp
メンバー全員の紹介やおにぎりの詳しい説明、ブログも必見!
AFARのメンバー10人。前列右が戎本裕明さん、左が中谷正男さん、中央は前号「紅葉鯛」特集で取材させていただいた井上晃良さん
うおんたなインタビュー
食育を語るならまず、子どもの視点で商店街を考えてみませんか。
商店街が、食育の現場になる。
大学講師の仕事だけでなく明石の食に関わる地域活動や、昨年7月に食育基本法が施行されてからは食育指導にも精力的に取り組んでいる野口孝則さん。
「大人になって生活習慣病を警告されてから、嗜好を変えるのは難しいし、それでは遅い。子どものうちからきっちりと食について学び、自分の食べ物を選べるように育てよう、とできたのが食育基本法です」。食卓に並んだ食事から、その栄養バランスを理解したり、食材の元の姿や、生産者の苦労を想像できるかどうか。そのためには、たとえば子どもたちが田畑や漁港に出かけて行って生産の現場を見る、といった経験が必要だ。「また、地元に商店街があれば、そこでもさまざまなことが学べます。魚屋、八百屋、加工品を売る店もある。子どもたちも興味を持って見られるし、お店の人から旬の話も聞ける。そんな商店街ならではの良さが残っているのが魚の棚だと思うんです」
子どもたちにも“伝わる”商店街へ。
実際、子どもたちに商店街の面白さを知ってもらうことは、魚の棚商店街の将来にとっても重要な活動に違いない。今後、食育の現場として商店街が期待されるものは何だろうか。「まず、子どもたちにもわかりやすい表示を心がけてほしいですね。値札の文字は読みやすく、魚なら元はどんな形、どんな大きさの魚なのか、どの部分なのかわかるように図を見せるとか」。鮮度、スピード勝負の商売のさなか、難しいことではある。しかし表示が見にくい、わかりにくいといった点はこれまでに、買い物に訪れる大人からも指摘されてきた課題でもあるのだ。
食のプロに学校へ来てほしい。
「また、商店の人たちに食のプロとして学校へ来ていただき、子どもたちに話をしてもらうというような取り組みもぜひ進めていきたいですね。そういった依頼が教育現場から出てきたとき、対応できる態勢や窓口を整えてもらえないでしょうか。そういう姿勢をぜひ示してほしいと思います」。
対面販売の中で自然に受け継がれてきた郷土の味や調理法は、生きた食文化である。商売を通して食の豊かさ、楽しさを伝えることができる魚の棚商店街と、野口さんのような食と教育の専門家。2つが連携することで生まれる双方の未来像を、これから探っていきたい。
神戸学院大学栄養学部講師 野口孝則さん
1973年福島県会津若松出身。神戸学院大学栄養学部卒業後、京都大学の大学院にて博士号取得、2003年より現職。NPO法人ダッシュ明石が主催する「明石・旬の食とお酒を楽しむ会」でのレシピ指導、兵庫県内の小学校から食育指導など、地域でも活躍中。
明石で「上ちくわ」「明石ちくわ」などと呼ばれているちくわ、皆さんはご存知でしょうか?
見た目は少し大きめのちくわで、魚の棚の天ぷら(練りもの)店で一般的な練り物と一緒に並んで売られているのですが、独特の匂いと味が特徴です。明石で生まれ育った人にとっては”これぞちくわ“。でも明石以外の土地にはない商品で、他所から来た人にはあまり知られていない。そんな「上ちくわ」の製造現場にお邪魔しました。
① フカの身をミンチにして、ハモ、タラなど他のすり身を加え、調味料で味付けをする。一般的なちくわと違ってでんぷんや浮粉などのつなぎを入れないので、噛みごたえがあって甘みより塩味が勝ったものになる。
③棒を芯にして筒状に型で抜き、ローラーで転がすようにして形を整える。鉄の串で刺して穴をあけ、空気を抜く(焼いたときに膨張するのを防ぐ)。横に筋が入れてあるのは、手で棒にすり身を巻いていたころの名残り。
④そのままコンベヤーにのせてガス火で焼き上げる。熟練した人の手ですばやく、くるくる回したり順序を替えたりしながら、均等にこんがりと焼き上げる。蒸す工程がないので、火が通るようしっかりときつね色になるまで焼く。
⑤焼けたら芯にしている棒を抜き、網の上で冷ます。最後にビニール包装して完成。
上ちくわの特徴
フカ(サメ)を主としてハモ、タラなどを加えて作る。黄みがかった独特の色と、固めの歯ごたえ、酒のあてにちょうど良い塩味と少しくせのあるフカの風味が特徴。でんぷんや浮粉などを加えて作られる一般的なちくわと違い、魚らしい味わいは、食べ慣れると他のものでは物足りなくなるほど。
なぜ明石でフカ(サメ)?
明石浦漁協の山嵜清張さんに聞いたところ「昭和30年代までは、漁の少ない時期に漁師がかまぼこ屋に出稼ぎに行くことが多かったんです。今と違って、昔の練りものと言ったら魚の中でも安価なフカなどを使うのが普通。明石以外の土地でその技術を覚えた人が、地元で作り始めたんでしょう。他の地域でも作られていたけれども、今もその味が残っているのが明石だけ、ということでしょうね」とのこと。山嵜さんを含め、魚の棚周辺で生まれ育った40歳代以上の人たちにとって、製造所から漂うフカのアンモニア臭は強烈な印象だったようです。
上ちくわの食べ方
匂いや味が特徴的で塩が効いているので「そのまま何もつけずに食べるのが一番」という意見が多いようです。「仲井商店」の濱田さんによると、細く切って巻き寿司の具にする家も多かったそう。「ちくわだけじやなく、いかなごのふるせをつけ焼きにして、ほかの具と一緒に巻いた太巻きが懐かしい」と語ってくれました。
昭和50年代ごろまでは魚の棚近辺に5軒ほどあった「上ちくわ」製造所も、今では「仲井商店」と魚の棚の「ハセ蒲鉾」の2軒のみになりました。今回取材させてもらったのは、魚の棚商店街の少し南にある「仲井商店」。三代目の濱田保子さん、四代目の智子さんを中心に女性ばかりで作業しています。機械を使ってはいるものの、均等に焼き上げるための素早い動きは職人技。郷土の味をこれからも作り続けてほしいですね!