魚の棚400周年記念企画第3弾 30号
うおんたな古今東西【歴史を語り継ごう、魚屋の女将対談編】
魚の棚はめまぐるしく変化している。魚屋中心だった昼の商店街から、飲食店に集う夜の商店街へと人の流れが加わり、新たな商店街の顔を見せるようになった。時代は変わっていくが、400年の歴史ある魚の棚を支えた人々の努力の上に今があることを忘れてはならない。今回、魚の棚で昭和の時代を生き、魚屋を長年営んできた藤原幸子さん(82)(かねき商店)と姉の大竹一美さん(85)(魚常) に、貴重な体験を語っていただく機会を得た。先人の魚の棚への思い、生き様から、今の魚の棚が乗り越えるべき課題が見えるかもしれない。そんな想いでインタビューに挑んだ。
(聞き手:松谷佳邦/都あきこ)※記事内敬称略
数年前、駅前再開発が完成し、新たに遊歩道も設置された。これまで分断されていた明石駅前と魚の棚周辺は一つになった。魚の棚は新たに多くの飲食店が誕生し、これまで物販中心だった魚の棚は様変わりした。閑散としていた夜も賑わいを見せ、懸念されていた空き店舗対策という言葉は消えた。
松谷:私が家業を継いだ約30年前、魚の棚の昼間は今では想像もできないぐらいの賑わいがあった、魚屋全盛時代、店頭にはあふれんばかりの魚屋が立ち並び、威勢の良い声が響き渡った。私の店も多くの従業員がいて、浜には現在の数倍以上の魚の水揚げがあり、早朝から夕方まで息つく間もなく毎日が闘いだったように思う。
昭和53年に明石公設卸売市場(藤江)が出来るまでは魚の棚の魚屋はいわゆる二枚看板、朝は卸をやって、卸が終わると小売に変わる。セリは魚の棚から南へ歩いて直ぐの港(現在のジェノバライン隣)で行われた。
早朝未明(深夜?)に開店の準備、そしてセリ場で魚を買付、先ずは仲卸、それが終わると次は小売り。小売りだけでも、今とは比較にならない仕事量である。その上に卸、店には住み込みの従業員さんもいて、賄いだけでも大変、未明から夜まで働きづめ、休みも殆どない「地獄の八丁目」と揶揄されることもある、そういう時代だったようだ。
やがて明石公設卸売市場が完成し、仲卸は魚の棚周辺から藤江に移行、魚の棚は小売として新たな道を歩むことになり、同時に早朝の賑わいは姿を消した。ところが藤原幸子さん(かねき商店)は、藤江の卸売市場にも店を構えたのでこれまで同様、いやこれまで以上に卸に小売りと、多忙な毎日が続くことになる。扱う魚も従業員数も増えた。早朝から夜までの激務、そして子育て家事、そのご苦労は私の想像を超えるものであるのに違いない。
今回、そんな当時の様子をお聞きしようと思い、取材を申し込んだのだ。いったいどれほどのご苦労があったのか、
そこに迫ってみたかった。ところが、取材を進める中、返ってきたのは意外なものだった。確かに、とにかく忙しく時間に追い回される毎日だったと。でも、厳しいとか辛いという言葉は一切なかった。そういう時代だったのかもしれないが、「楽しかった」と振り返る。「楽しかった」と。
この時代を楽しかった、そう語る人は始めてだった。驚きと新鮮な響きがあった。
苦労を苦労と思わないお二人が生きた、昭和の魚の棚の話に耳を傾けてほしい。(松谷佳邦)(松庄)
藤原幸子さん、大竹一美さんご姉妹のご実家は、老舗魚屋「魚常」である。西舞子にご自宅があったお二人は、西舞子から明石の魚の棚へ通っていた。「魚常」が魚の棚で商売を始めたのは戦後昭和25年からというから、幸子さん8歳。一美さん11歳の頃だ。
【戦後の魚の棚】
松谷:戦後の魚の棚の様子を教えてください。
大竹さん:商売を始めた昭和24年までは、バラッグ建ての並ぶ商店街だった。昭和24年に明石駅前大火事があり、全て焼け、翌25年に魚の棚が再スタートした。その時に、実家の魚屋ができた。その頃の魚の棚は、土壁で地面も土のまま。それぞれのお家がお店らしくなるように、いろいろ工夫しておられたよ。
藤原さん:昭和27年ぐらいから、店の2階に住むようになった。朝に卸しを終えてから小売。父は2時には起きていたね。仕事は夕方17時、18時まで。年末はもちろん遅くまで仕事三昧。除夜の鐘が鳴っても店が開いていたよ。店の中で皆が魚と奮闘していた姿をよく覚えている。
大竹さん:休みは10日に1回。7のつく日がお休み。7、17、27。魚の棚では従業員は住み込みで働いている人が多かった時代。うちも住み込みだったね。まかないは母が作っていたけど、忙しいので近所の魚屋と組んで、隔日でまかないを作るパートの人にお願いしたりしていたこともあるね。
藤原さん:カンカン屋と呼ばれた淡路の人も大勢が缶をかついで魚の棚へ押し掛けた。国鉄が電車1両を買い物客専用にして走らせていたし、客は魚を買うと担いで帰ってたね。銀座通りの向こう側、当時の人丸堂あたりには、サーカスも来ていた。それは賑やかな時代だったね。
【卸しと小売りの二枚看板時代】
藤原さん:結婚して「かねき」に入ったのが昭和36年、20歳の時。明石公設卸売場が開場するまでは、魚の棚のお店(当時かねき商店)で、朝は小売店向けに販売する仲卸(なかおろし)、その後は、一般客向けに販売する小売(こうり)の二枚看板でやっていた。
松谷:明石公設卸売場ができたのは、昭和53年。それ以降は、朝は明石公設卸売場市場でこれまで通り仲卸、その後は魚の棚の小売と。もう一軒、明石活洲の3社を駆け回っていたそうですね。
3つも掛け持ちで、お母さんの朝は早かっただろうね。
藤原さん:早いよ。4時半からセリが始まったから、朝の3時には起きて車で明石公設卸売場へ行って、セリが終わったら、魚の棚に戻ってきて、昼間は小売業。
今の最高に忙しいような日が日常だった
魚の棚もすごく活気があったね。飛ぶ様に売れるから、魚の名前すら書けない。売れた魚の名前を書く暇もない。「タイなら、タ」だけ。全部書けない。思い出しても忙しい。笑。一番忙しい時に子供が3人いてね。子どもより先に家を出て市場へ出ていた。それより先に弁当を作らなあかん。家を出る前に、お弁当入れて、子供より先に家を出る。だから、今みたいに色とりどりのお弁当やない。そんなどころの騒ぎじゃなかったね。笑。
大竹さん:一旦、仕事に入ったら、帰るまで座る暇はない。9時に仕事入って18時半に終えるまで、食事以外は座る暇はなかったね。
松谷:魚の漁獲量も今とは比べ物にならないぐらい多かった時代。もっと魚を食べていたし、食べやすい小物もたくさんあった。昔は、魚は魚屋で買うものだった。
藤原さん:そう。例えば、今は、魚を片身、1/3とか、1/4の切り身しか買わないけど、その当時は、1箱に3本ぐらい入っているのをガッサガッサ買って行った。昔は、一盛りやとなんぼで、ニ盛りやとなんぼにしたげる。とかしたけど、今は余分にみんな買わない。食べ方が違う。昔と今では。今は大きく切っても買わない。3切れ買って5人で食べるとか。昔は、一切れでも多く買ってお父さんにたくさん食べてもらおうとかあったけど、今は逆。食べる量も少ないね。
【「しんどい」仕事の先にあるもの】
松谷:魚の棚が繁盛していて従業員を沢山使われていたことで、揉め事やトラブルはなかった?
藤原さん:それは私達ではなく、男の人が解決してくれた。色々あったけど楽しくやってきたよ。私たちは、声が大きい。声を聞いたら元気そうやな。といつも言われていたけど、声を使って仕事をしていた。魚を売るのは男の人の仕事だから、その裏の応答。コミュニケーションやね。大きな声で返事しながらお金のやり取りをしていた、伝票をつける時に聞き直したりしたら怒られる、男の人も忙しいから何度も教えてはくれない。
松谷:それだけしんどい思いをしていても楽しかった?
大竹さん:しんどいと言うより、やりがいが勝った。しんどいと思ったらやってられない仕事。私らが黙ったらあかんからね。声を出していたよ。
藤原さん:そう、苦しい時も楽しくしていた。むっつりしてたら、なんや今日しんどいんか~?言われる。
やっぱり、いつでも明るくせなあかん。
大竹さん:大きい声を出して、お客さんを呼び止めて。一人が店頭で止まったら、他のお客さんも「何?」と思って止まってくれるから。なんせ一人に止まってもらおうと必死やったね。買ってもらわんでも、おなじみの人が通っていたら「おでかけですか~?」と声かけていた。そこからおしゃべりしたりしてね。
都:そんな、人との触れ合いや、温かい空気感が、スーパーではない魚の棚の良さですね。
【 損して得取れ。昔の魚の棚に学ぶこと】
藤原さん:昔の魚の棚は楽しかった。七夕祭りが楽しかったね。七夕祭りで、各家がティシュで花を作ったりして飾っていた。トンネルみたいな七夕飾。今とは規模が違う。それを目当てにお客さんが来ていた。みんなで手作りの飾りを作る楽しみがあった。あちこちの幼稚園の子供達が来てくれていたりしてね。盆踊りも楽しかったね。昔みたいに賑やかにせな。お客さまを集めることだけじゃなく、魚の棚自体の人も楽しんで、人が集まるために思い切らなあかん。全員がしたらいいと思う。
松谷:みんなで何かやろうというのは段々なくなってきた。儲けることに目が行って、魚の棚に愛着がなくなってきた人も多いかもしれない。
藤原さん:それから、商売はなんかちょっとしたものをあげるとか、実は大事なんよ。
「損して得取れ。」とお父さんが言うてた。
みかん1個でもスイカ一切れでもあげたらええのにと思う。たこ焼き屋さんも、何日にきたら、たこ焼きあげるとか。大流行りの明石焼屋さんに協力してもらって、子どもに1個でもいいからあげるねん。魚の棚の商店街で食べられたらおいしいねん。ちょっとあげたら、普通に食べるのと違う喜びがあるねん。
魚の棚はそういうとこやと私はそう思うわ。そんな風に人を集めるアイデアも必要。それも時々じゃなく、だいたい決まった日にする。思い出した時にするんじゃなくね。いっぱい集めていっぱい来るのを願わず、一回ぽっきりでやめないで、しばらく続けてみることが大切。
継続は力なり。
なかなか賛成してもらえないかもしれないけど、それを覚悟でやる。そしたら、ひょっとしたら、1軒ずつ協力してくれる店が増えていくかもしれないよ。
大竹さん:昔はね、子どもが買い物に来たら、半額にしてあげた。
そしたら、友達を呼んできて、「半額にしてくれるよ~」って言ってみんな喜んで来てくれた。小遣いが少ないから、ちょこっとしか買えないからね。半額にしてあげたんだよ。
都:子どもは自分で買えるのが嬉しくってお小遣い握りしめて来るんですね。そういうお店側の思いやりが嬉しいですね。自分で買ったお魚は特別。そうしたら、今度はおうちの人を連れて来ようとなりますもんね。
藤原さん:そう。そういうことをせな、儲けるばかりじゃなく。忙しい忙しいばかり言うててもダメ。楽しいこと考えて。暗いことは考えない。
あそこの家が文句言う。こっちの家が文句言う…ばっかり言わず、楽しいことをしていたら、その人たちも寄ってきてくれる。
朝の仕事が一段落すると従業員を近くの喫茶店によく連れて行ったりしてね、そこで他の店も人も一緒になって談笑した。
「どないしょう、じゃなく、
どうしよう。」
楽しいところに
人は集まるよぉ~
そんな話も
よくしたね…。
松谷:何でも楽しくやらなあかん、それが一番大切。同じことをするのでも、とらえ方でこれだけ違うんやぁ~。やってきた人だけに説得力がある。
インタビューを終えて、お礼を言うと「次、いつお茶飲む?」そう、笑顔で微笑んでくれた。
【編集後記】
自分とこだけが儲かって、自分とこだけが潤って…そんな考えが微塵もなく、魚の棚全体が楽しく賑わうこと、お客様が喜んでくれるその先に、自分の店の幸せもあるということ。商売の真髄を教えていただきました。これって、商売だけじゃなく人生にも全て置き換えられる気がします。藤原さんと大竹さんご姉妹に感謝です。これからも魚の棚が、益々楽しく繁盛しますように…。取材ご協力有り難うございました。(都あきこ)
アンサンブル楽団
ドソラド倶楽部
「第6回 魚の棚×YEBISU ビアガーデン」西会場特別ゲスト
去る2023年8月29日(火)・30日(水)の2日間、青空楽市と魚の棚商店街アーケード内で「第6回 魚の棚×YEBISU ビアガーデン」が開催された。
会場では、商店街の店主が趣向を凝らしたフード屋台に加えて、音楽や踊り、生バンド等の演奏もあり、会場は大盛況。2日目の30日、西会場特別ゲスト「ドソラド倶楽部」代表、和田信樹さんに突撃インタビューが実現した。
「ドソラド倶楽部」は、明石高校音楽部出身者を中心に音楽仲間が集まってできたアンサンブル楽団。各種施設への慰問演奏や、明石市の小学校、敬老の会、ここ魚の棚のイベント等、演奏の場を年々広げている人気楽団だ。
「昭和20年~30年生まれぐらいの昔の仲間が集まって月1回練習しているよ。」トロンボーン片手に話す和田さんは昭和21年生まれ。創業明治5年、炭焼きあなご専門店「林喜商店」四代目、林祝雄さんもサックス奏者として活躍中だ。
「65歳過ぎたらね「きょういく」が必要。「教育」じゃないよ。「今日行く」「今日行く用事がある」ことが大切。」と笑う。
メンバーは、およそ15名前後。スタンダードナンバーや、昭和歌謡、ビッグバンドジャズ、ダンスミュージックなど幅広い楽曲で観客を喜ばせてくれる。「音楽の要は、息を合わせること。」
♪いつでも夢を、♪高校3年生など懐かしのナンバーが始まると、会場は手拍子とともに一気に沸いた。
最後に、和田さんに魚の棚の思い出について聞いてみた。「魚の棚は、私たちの小さい頃は生活の必要なものを買いに行くところだった。魚から、かまぼこ、天ぷら…何でも揃ったよ。今は観光メインな気がするね。人が増えるのはいいこと。今もなお、魚の棚は、明石の顔だよ。」写真をお願いすると、にこやかにポーズを決めてくださる姿にすこぶる元気をいただいた。
「ドソラド倶楽部」代表 和田信樹さん
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<ワインショップとお惣菜と>レストランバー オオタニ
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大阪八尾の老舗で修業をし、のれん分け1号店
<餃子・から揚げ専門店>ぎょうざのじんべえ明石店
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高品質&低価格コスパ◎の焼肉店
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